ピースフルリレーションズ

  コミュニケーションを学ぶ、コミュニケーションを楽しむ

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★2014年 10月23日★ “大人の役割”

猛烈な台風が日本各地に爪あとを残して走り去っていった10月上旬は、運動会シーズンでもありました。束の間の晴れには、全国の保育園、幼稚園、小・中学校で子ども達の熱い戦いや微笑ましい演技が繰り広げられたことでしょう。

私は、昨年度からコーディネーターとして関わらせて頂いている富士根南小学校へ応援に伺いました。
開会式前の入場行進、胸を張り足並み揃えて元気良く行進する子ども達の姿に、もう胸キュン! なんて真剣に、一生懸命、歩くことか!
続く国旗掲揚や優勝旗返還、校長先生・PTA会長さんのお話などの間もピシッと立って集中している凛々しい姿・・・凄いなぁ。素敵だなぁ。
そして、紅白の応援合戦になると応援団長の旗に合わせて「あか!あか!あか!」「しろ!しろ!しろ!」と、1100人余りの大合唱。嬉しそうに弾ける笑顔、全身からほとばしる闘志・・・なんて愛おしいんだろう!
富士根南小の今年の運動会スローガンは「最後まで 勝利に向かってつなげよう 絆のバトン」でした。そのスローガンにふさわしく、最後まで真っ直ぐな闘志を胸に、爽やかに晴れやかに演技や競技に挑む子ども達の姿に胸うたれました。時代が変わっても変わらない子ども達の無邪気さを間近に感じ、感動の一日でした。

同時に、子ども達がこの真っ直ぐな心や無邪気さを損なうことなくスクスクと成長していけるよう、先に生きている私たち大人には、健やかな社会を作っていく役割があるのだと、改めて意識した一日でもありました。




★2014年 3月18日★ “雑感”

 真冬のような厳しい寒さ、ポカポカ陽気、荒れ狂う嵐、と、めまぐるしい変化の早春の日々。のどかでほんわかしたイメージの“春ですが、その訪れは波乱に満ちた厳しいものなのだと実感しています。また、“1月は行く 2月は逃げる 3月は去る”の言葉通り、月日は飛ぶように過ぎ、気がつけば、3月も半ば・・焦ります!

 ソチ五輪もあっという間に過ぎ去ってしまいました。慌しい日常生活の合間にテレビ観戦しながら、選手の皆さんがそれぞれの苦しみを抱えながらも、自分に集中し自分をコントロールし高みを目指して挑戦する姿に、本当に感動!特に大好きなフィギュアの時は、手に汗握り、心臓が締め付けられるような思いで演技を見つめ一喜一憂!心打たれました。あきらめない事の大切さも心に刻みました。持てる力の全てを出し切って満足のいく結果を得た選手、持てる力の全てを出し切ったけれど満足のいく結果を得られなかった選手、自分の力を発揮する事が出来ず失意と悲しみに沈んだ選手、そこにも人生の深淵を見る思いでした。きっと、全てのことに意味があるのでしょう。オリンピック閉会式での各国選手の笑顔にそんな事も思いました。そして、いろいろな国の選手が集い、競い合える「平和の祭典」の意義深さも。しかし、その後すぐウクライナ情勢が緊迫を増し、パラリンピックはロシアと欧米諸国との対立が深まっている中で開催。人間の素晴らしさや平和の尊さを実感している場と隣り合わせにある戦争。怒りや憎しみ。そして悲しみ。何故こうなってしまうのかなぁ・・どうやったら争わずに共存していけるのだろう・・日本も苦しい選択を迫られています・・こんな時、自分には何が出来るのだろう・・
 途方にくれる思いもしますが、やはり、私たち一人一人が自分を満たし、心の内に平和を持つこと。そして身近な所から温かな信頼関係を築いていくことしかないと思うのです。その為にも、私は自分の魂ともっと真摯に向き合って生きることから始めなくては、と思います。

「自分についての認識を深め、内なる調和をめざせば、それは個人や家族、やがては社会や地球全体という外部の状況にも反映されることになる。一部を癒せば全体を癒すことになる。(The Wave ジュード・カリバン著)」
「人生に起こる全ての事は互いに関係しているのだからこそ、自分の個人的なことに対する責任、本当の意味で自分を大切にするという責任を最初に果たさなければならない。(GOINZ WITHIN シャーリー・マクレーン著)」という考え方に希望を持ちます。

 東日本大震災に私自身がどう向かい合っていくか、という事でも、それは同じかもしれません。あの日一瞬のうちに大切なご家族を失ってしまった多くの方々や、まだご家族が見つからない方。ご自分が生きていることを責め続けている方。その方々の悲しみや苦しみを思うと、当時も今も言葉もなく立ち尽くすばかりです。また、前を向いて頑張っていらっしゃる皆さんの力強い姿や笑顔には、圧倒され、教えられ、かえって励まされる思いがします。身近なことで手一杯で、ささやかな応援しか出来ていない事が申し訳なく、ずっとウジウジ悩んでいた私ですが、やはり、自分や自分の身近な人を大切にしながら、出来ることを積み重ねていくしかないのだと、あらためて思います。一人一人が真摯に自分の人生に取り組んでこそ、全体の幸せに繋がっていくのでしょう。もっと自分を深く感じ、“ここ”と“いま”を大切にしながら、真実を生きていきたいと思います。

と、ここまで書いた時、急に夫の顔が浮かびました。いつも私の行動のしわ寄せを受けている夫は私の一番身近なパートナー。これを読んだら「ぜひ、ぜひ、身近な人を大切にして下さい!」と笑うに違いありません。ムムム・・・




★2014年 1月18日★ “新(あらた)しき  年の初めの  初春の 
                     今日降る雪の  いや重(し)け吉事(よごと)  ~大伴家持 万葉集~”

新しい年が来るのは嬉しいです!目の前に、真っ白な輝かしいページが開かれたような気がします。昨年やろうと思ったのに出来なかった事への未練も後悔もリセットされ、新しいスタートが出来るような気がします・・・っていうのは調子良すぎますかしらね。とはいえ、またまた「今年こそは!」と意気込んでいる私です(笑)

この2、3日、なぜか “新しき 年の初めの・・・”の歌を思い出していました。そうしたら、今朝は庭一面の雪! おまけに本日は大安吉日! 嬉しくなってしまいました。でも、その後すぐ心配になりました。今日は大学入試センター試験なのですよね。たくさんの若者が自分の夢を賭けてチャレンジする日です。わが娘達がセンター試験に臨んだ日の緊張感が甦ります。交通機関の乱れで困る若者がいないように、皆が努力してきた全てを出し切れるように、祈るばかりです。やはりこの歌のごとく“新しい年の初めの初春の今日降る雪のように、良い事よ、ますます重なれ”ですね。

 この歌は「万葉集」最後の歌であり、大伴家持がこの世に残した最後の歌だそうです。不勉強な私は、単純に新しい年を寿ぐ歌のように思っていましたが、この歌が詠まれたのは、家持が橘氏と藤原氏の抗争に巻き込まれて多くの友人を失ったうえ自身も因幡へ左遷されてから初めて迎えたお正月だったそうです。本当に辛く苦しい、絶望的な状況で詠んだのだそうです。そうなると「新年に降る雪を豊年のしるしとして喜んだ」という、当時の人々にとって当たり前の喜び以上の様々な思いがあったのだろうと想像されます。でも、そんな状況だからこそ、家持は心の底からの切なる“祈り”を歌に託したのかなぁという気がします。彼は祈ることによって希望を現実のものとする、言葉の霊力を信じて歌ったのではないでしょうか。

 私も、この新しい年が自分にとっても皆さまにとっても希望に満ちた輝かしい年となるよう祈るとともに、その祈りを生きていくように努めたいと思います。




★2013年 9月24日★ “行く夏を惜しみつつ 来たる秋を楽しむ”

先週末まで、海で遊んでいました。
ですから、先週までは、私の中ではまだまだ「夏真っ盛り」だったのです。
が、大きな被害をもたらした台風が日本列島を駆け抜けた後、朝晩めっきり涼しくなり、朝から喧しいほどだった蝉の声がパタッと聞こえなくなり、気がつけば日の暮れるのも早くなって、夜にはリーンリーンと虫たちの合唱。
そして、中秋の名月、秋分の日・・・
季節は移ろっているのですね。
それにしても「暑さ寒さも彼岸まで」と言った昔の方は凄いなぁと感服します。
異常気象と言われる昨今でも通用するのですから。

今年の夏は本当に「猛暑」でした!
暑い!暑い!と喘ぎつつ過ごしましたが、それでもやっぱり私は夏が大好き。
眩しく輝く太陽のエネルギーが全身に満ちてくるような気がします。
短い夏を謳歌し競い合って鳴く蝉たちの声に、ファイトが湧いてきます。
特に今年は、庭の至る所に蝉の抜け殻があったので、毎朝元気に鳴く蝉たちは我が家生まれなのかなぁと思うと、嬉しく愛おしく、朝からその声が楽しみでした。
そして今年も「海LOVE」の夫と共に何度か海へ。
スキン・スキューバ両方こなす夫や娘達と違って、いつまでたってもシュノーケリングしか出来ない私ですが、毎年、海の中に広がる美しい世界に目を見張ってしまいます。
そして、屈託ない様子で泳ぎ回る魚達や、様々な生き物の命を間近に感じながら、この地球に生きているのは人間だけではないって、つくづく思うのです。
この命あふれる海を汚している人間の傲慢さ、本当に申し訳ないです。
もう、私たち人間は変わらなくてはならない。
もっと謙虚にならなくてはいけないのです。
海辺で自分の中の「子ども」を取り戻しながら、毎年思いを新たにする私です。

夏の海や生き物たちとの別れは、チョッと寂しい・・・
でも、秋は私の大好きなピンク色のコスモスから始まります。
澄み切った青空に富士山がくっきりと雄姿を現し、まもなく金木犀の芳しい香りも漂い始めるでしょう。
多くの子ども達にとっては、楽しみな運動会シーズンの到来ですね。
仲間と競い、仲間と力を合わせ、全力を尽くして笑顔はじける運動会。
その輝く姿に、私たち大人も清々しい感動と勇気を貰うことでしょう。
来たる美しい季節、日々の贈り物に感謝して楽しんで過ごしたいと思います。




★2013年 8月21日★ “大事なのは、破壊することでなくて、人間が純粋な喜びを覚えるようなものを建設することだ。 ゲーテ”

亡き父が買ってくれたエッカーマン著「ゲーテとの対話」の中で語られているこの言葉は、70年安保闘争の中で混乱し苦しみもがいていた当時の私にとって一筋の光と言えるようなものでした。

日本はその頃、「日米安全保障条約延長反対・ベトナム戦争反対・沖縄返還要求」が絡み合った所謂70年安保闘争で激しく揺れていて、私が高校生活後半を過ごした都立青山高校も、その渦の真っ只中にいました。

生徒たちは若くて未熟だったかもしれませんが、「この国をどうするのか?我々はどう行動すべきなのか?」という事に対して、みんな真剣に向き合っていました。
そして青春期特有の純粋さ故に、生徒同士が互いを鋭い刃で傷つけるような激しい議論が戦わされていました。
議論に留まらず、授業ボイコットや先生方との対立、更には大人や大学生と共にデモに参加しゲバ棒や投石で機動隊と戦う生徒や中核派や革マル派などに共鳴し共に行動する生徒も現れ、最終的には機動隊によって学校がロックアウトされるという異常事態にまで陥ったのです。

「この国の問題に真剣に向き合っているから」という理由でデモに参加しゲバ棒を振るい、石や火炎瓶を投げて意思表示するクラスメート。
それに対し、私自身は身動きが出来ずにいました。
本当にその方法が、この国をそして人々を、幸福で平和な生活に導くという確信が持てなかったからです。

私はクリスチャンではありませんが、小学生の頃から教会に通い、イエス様の愛の教え“敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取り戻そうとするな。人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛してる。自分によくしてくれる者によくしたとてどれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。(ルカによる福音書)”を実践できる自分になりたいと願っていましたし(実際には悪心だらけでしたが)、神様・仏様・ご先祖様・家族や隣人を大切にした祖母の影響や、父母が与えてくれた書物の影響もあり、漠然と、しかも明るく呑気に「みんなが幸福に生きられる世界を創るお手伝いがしたい」と考えていたのです。
そんな私には、ゲバ棒や火炎瓶で争うことで幸福な世界を構築できるとは思えませんでした。

しかし、ベトナム反戦デモにも行かない私は同じクラスの男子にこう糾弾されました。
「お前は人殺しと同じだ。今この瞬間にも沖縄から米機が飛立って、たくさんの罪もないベトナム人を殺戮しているんだ。なのにお前は行動しない。それは殺戮に手を貸しているのと同じことだ。平和で幸福な世界を創りたいなんて言っても何も行動していないお前は偽善者だ。」
ショックでした。
本当に彼の言うとおり、自分は人殺しの偽善者だと思いました。
どう生きていったら良いのか分からなくなりました。
こんな偽善者には生きていく資格もないと思いました
自分のことが受け入れられなくなりました。

そんな折、クラスメートが東横線に飛び込み自殺するという事件が起きたのです。
自殺したのは名簿で私と1番違いの、可愛くてチャーミングな女の子でした。
彼女がなぜ自殺したのかは分かりません。
紛争が原因だったのか、迫りくる大学入試を前に進路に悩んだのか、全く別の原因か・・?
でも、前の日まで笑っていた彼女が翌朝には線路に飛び込んでバラバラになってしまったという現実。
クラス代表としてお通夜に参列しながら、重く重く沈みこむ心の中で、なぜか私には彼女が死ぬことで彼女自身の真実を貫いたように思われました。
同時に彼女から「課題」がバトンタッチされたような気が・・・

重い課題を抱えたまま大学に逃げて行った私は、自分をもう一度愛せるようになるため、自分の真実を探すため、七転八倒しながら出口を求めたのですが、なかなかトンネルを抜け出ることの出来ない苦しい日々が続きました。
それでも課題と向き合い解決のための試行錯誤を繰返してなんとか自分を受け入れられるようになり、トンネルを脱出し、主人と出会って結婚し、娘が二人授かり、夢中で子育てをして、今があります。

子どものオムツを替えながらも、まな板で野菜を刻みながらも、家族と楽しく幸せな日常を過ごしながらも、あの70年安保闘争で突きつけられた課題を私は忘れたことはありません。
当時過激な行動をしながらも、一時の流行り病のように「あの頃は激しく暴れたよなぁ」なんて笑ったり忘れたりしている人もいます。
でも私には出来ないのです。
そして何をしていても、やはり「みんなが幸福に生きられるような世界を創るために、私は何が出来るのか、何をしたいのか」という思いが傍らにありました。

2004年に出会ったゴードン・メソッドは、対立を力でねじ伏せるのではなく自分も相手も大切にウィンウィンの関係を築くことを可能にするコミュニケーション方法です。
おそらくそれ故に、1997年から3回に渡ってノーベル平和賞にノミネートされたのでしょう。
私は、多くの方にこの方法を知って頂き実践して頂くことで、時間はかかっても幸福な世界の実現に近づけると確信しています。
紛争当時私を糾弾した彼にも「こんな方法もあるんだよ。」って、今なら笑顔で伝える事ができます。

そうは言っても、世の中にはコミュニケーションだけでは片付かない、待ったなしの多くの問題がたくさん存在することも事実です。
被災地の復興や原発事故の収束とエネルギー問題、平和で安全安心な日本の実現と憲法改正について、日本が世界平和に果たす役割や国際社会の中での日本の在り方、経済や産業の振興、貧困や格差の問題、環境や食料の問題・・・等等等。

それらの問題と、自分はどう向き合いどう行動したら良いのか、未だに分からないことや掴めないことが多く、試行錯誤・・・情けなくて再び深いトンネルの闇に迷い込みそうな気もします。
が、やはり先のゲーテの言葉
“大事なのは、破壊することでなくて、人間が純粋な喜びを覚えるようなものを建設することだ”を道標として、出来ることを積み上げていきたいです。

終戦の八月は鎮魂の季節、そして平和を祈り平和のために行動することを決意する季節。
そんな季節に自分の歩く道を確かめたいと思って記しました。




★2013年 7月3日★ “「ならぬことはならぬ」とコミュニケーション”

毎週日曜日、大河ドラマ“八重の桜”を、居住まいを正し緊張しながら見ています。
今週の放送では、とうとう会津ご城下に新政府軍が攻め込んできて、少年兵も老兵も婦女子も、それぞれのやり方で「ふるさとを守るために、誇りを守るために」最後まで戦い抜こうとする壮絶な戦いの場面に突入しました。

将軍家に絶対服従の立場をとり、君臣の義や長幼の序を重んじ、仁・義・礼・智・信を人の守るべき徳目として励むことを求めた「家訓」に忠実であったが故に、追い詰められてしまった容保公と会津藩の方々。
その悲劇的な運命に 胸が苦しくなる思いです。

先祖が徳川譜代の壬生藩出身の身である私としては、会津の方々ばかりに過酷な運命を背負わせてしまったような申し訳なさを感じます。
そして、今また福島の方々に過酷な運命を背負わせてしまっている日本。
過去と現在の運命が重なるように感じられ、あらためて、私たち一人ひとりが福島の皆さまに心を寄せ、日本全体の問題として取り組んでいかなければいけないのだとの思いを強くするのです。

ところで、その会津藩は青少年の教育にきわめて熱心だったそうで、藩士の子弟は十歳から十二歳になると自動的に藩校の日新館に入学するように決められていました。
そして日新館入学前の六歳から九歳の子弟は、毎日午前中は私塾などで学び、午後は同じ町内に住む十名前後の「遊びの什」と言われる班で、必ず集団で遊ぶよう定められていたそうです。

「ならぬことはならぬ」は、この幼年者たちが守るべき「什の掟」の基本精神でした。
ドラマの中でも、重要な場面でこの「ならぬことはならぬ」という言葉やその精神が出てきます。
「ならぬことはならぬ」と毅然として言い切る年長者と、それに従う若者。
「ならぬことはならぬ」が受け入れられたのは、「ならぬことはならぬ」を自身の生き様で誠実に体現している年長者への尊敬があったればこそでしょう。
また、「ならぬことはならぬ」に反論する時には、自身の命を賭ける覚悟で意見しているのがひしひしと感じられます。
言葉が命の重みを伴って発せられていると感じます。

現代の社会では、言葉から命が欠落してしまったと感じる場面が少なくありません。
まず自らが言葉の持つ力をもっと自覚し、命の重みを伴った言葉を発せられる人間になりたいです。
そして、場面によっては「ならぬことはならぬ」ときっぱり言えるような、芯を持った生き方をしたいです。
もちろん、その「ならぬことはならぬ」が独りよがりでは良くありませんが。

「ならぬことはならぬ」が相手の心に届くのは、それが単なる権力の押し付けや独りよがりではないからこそ。
そして、その言葉を裏切らない生き方をしていればこそ。
そして、相手との間に信頼があればこそでしょう。

その信頼や心の架け橋を築くものが、日々の誠実な関わり(コミュニケーション)なのだと思います。
問題を抱える人間関係の歪みも、各々が誠実で丁寧な、真実のコミュニケーションを実践する事から、変化していくのではないでしょうか。




★2013年 6月13日★ “若者たちの心をつかんだ、DJポリスのアナウンス”

DJポリスが話題になっています。

DJポリスとは、サッカー日本代表がワールドカップ出場を決めた夜、熱狂したサポーターでごった返す渋谷駅前で、はしゃぐ若者たちをユーモアを交えて誘導し、大きな事故や逮捕者も出さなかったことが評価されて警視総監賞を授与されることになった20代の男性警察官のことです。

彼のアナウンスは、熱狂する若者たちの心を摑んだとのことですが、テレビ放映でその様子を見た私も、彼の笑顔と言葉かけに心を摑まれました

「12番目の選手であるサポーターのみなさん」という呼びかけも「ここにいる皆さんは日本代表のチームメートです」、「日本代表のようなフェアプレーの精神を持って・・・」等のフレーズも、若者たちのサッカーファンとしての自覚を呼び覚ましたに違いありません。

さらに、「目の前の怖い顔をしたおまわりさんも皆さんが憎くて邪魔をしたい訳ではありません。おまわりさんたちも嬉しいんです!日本のW杯出場を喜んでいるんです!」「お互い今日という日を気持ちよくお祝いできるようにしたいんです。」「ケガをしては今日のW杯出場が後味の悪いものになってしまいます。」と、喜びへの共感とともに、事故や怪我を案ずる素直な心情を伝えた事から若者との心の距離がグッと縮まって、まさに「チームメート」のような温かい空気が生まれたのでしょう。
だからこそ若者たちも警察官の言葉に耳を傾ける気になったのだと思います。

また、「歩道に上がって下さい。立ち止まっていますと皆さんのチームメートが歩道に上がることができません」などの数々の具体的な言葉かけも、若者たちにどの様な行動が迷惑なのか危険なのかを伝え、自ら考え行動する事を促したのではないでしょうか。

なにより、はしゃぐ若者たちを、頭ごなしに「不心得者」と決め付けて否定したり、高圧的に権力でねじ伏せて取り締まろうとするのではなく、彼らの「興奮」や「嬉しくて羽目をはずしたい気持ち」、「一緒に喜び合いたい気持ち」も受け入れながら、大きな事故や暴動にならないよう、誰もが安全に“いい気持ち”で帰宅できるよう心を配っている様子が素敵だなと思いました。
そういう警察官の思いが伝わったからこそ、若者たちも彼の誘導に従う気になったのでしょうね。

このホームページでご紹介しているゴードン・メソッドでは、自分が相手の行動を受け入れられない時、相手に対し「あなたのこういう行動が、私にこういう影響を与えているので、私はこんな気持ちなのです」と、受け入れられない行動を非難がましくなく、その影響を具体的に、自分の感情を正直に率直に伝える方法を学び訓練します。

相手を信頼し、相手も自分も大切にしたこの伝え方は、相手の心に届きやすく、相手が自発的に行動を変えようとする気持ちが生まれやすくなるのです。

DJポリスの言葉かけに、ゴードン・メソッドと共通のスピリットを感じました。
私にとっては、あらためて「コミュニケーションのあり方」を考える、良い機会となりました。




★2013年 5月31日★ “子どもが親に寄せる、溢れんばかりの愛”

「ワァー! ママすてき! パパかっこいい!」と、目を輝かせて5才のナナちゃん。
「しゅてき!かっくい!」と、お姉ちゃんに続いて2才のノンちゃんも走り寄ります。
友人の結婚披露パーティに出席するためオシャレしたパパとママを見て、二人とも目をキラキラさせて「素敵!」を連発。
褒められたパパとママもとても嬉しそうで、「ありがとう!」と満面の笑顔が弾けます。

夜、パパとママの帰りを待ちながら“ピーターパン”の絵本を読みました。
ウェンディが、「お母さん」を知らない迷子の子どもたちに「ママってね、とっても優しくて、とってもあったかいのよ!」と話す場面に来たら、「うちのママみたいだね!!」と、またまた目を輝かせて言うナナちゃん。
ノンちゃんも「ママぁ」とニコニコ。

「パパとママは素敵だと思う人」と聞いたら、二人とも「ハイッ!」と、嬉しそうに大きな声で返事。
~夜の留守番を頼まれ、娘宅に泊まった時のことです。~

二人がパパとママを大好きでたまらない様子に、私は胸がジーンと熱くなり、涙がこぼれそうでした。

我が孫に限ったことではありません。
幼い子どもたちは、本当に本当に親が大好きなのです。
溢れんばかりの愛情で、いじらしいほど命がけで、親を愛しています。
求めています。
主任児童委員をさせて頂いたこともあって、そんな親子の場面をたくさん見てきました。

子ども達が寄せてくれる愛情を、私たち親が尊い宝物を抱くように受け止めたら、子ども達はどんなに満たされ幸せになることでしょう。

でも、私たち親は、そんな子どもの気持ちを軽く考えているのではないでしょうか。
子どもが寄せてくれる気持ちを「ありがたい!」と感謝して頂くのではなく、あまりにも「あたりまえ」に受け止めてはいないでしょうか。
それどころか、時にはそれを鬱陶しく感じたり煩わしく感じたりして、邪険に扱ったりしてはいないでしょうか。

身に覚えのある私は、胸が痛みます。
「ママーッ」と走り寄ってくる娘たちに、感謝の足りない母親だったと思いますから。

もう一度、幼い娘たちに会いたいなぁ。
そして、もう一度ギューッて強く抱きしめたい。
寄せてくれた溢れんばかりの愛情に、「ありがとう!」と「ごめんね!」を込めて・・

書いていたら、幼い日の二人の笑顔が浮かんできました。
未熟な母ではありましたけど、二人が私のもとに生まれてきてくれたことを、昔も今も心から感謝してる私です。




★2013年 5月12日★ “桜によせて~あひ見むことは 命なりけり~”

今年米寿を迎える母を誘い、弘前、角館の桜を観てきました。

お正月が終わった頃、「春の弘前、北上、角館、中尊寺、東北の名湯・温泉ホテルの旅3日間」という企画ツァーの案内を頂き、ぜひ二人の母を連れて行きたいと計画した旅です。
残念ながら、主人の母は体調不良などの理由でキャンセルとなってしまいましたが。

私も母もツァー旅行の経験が殆どなく、そのうえ母は高齢なので(しかも2月に転んで足の指にヒビが入った身なので)、皆さんに付いて行けるかしら?迷惑かけないかしら?等と、二人とも少々不安を持っていましたが、いざフタを開けたら、母は元気!元気!
杖を片手に、バスから一番に飛び出して行くくらいの勢いでした(笑)
亡き父と訪れた弘前、角館の桜をもう一度観ることを目標に、セッセと外科に通い、リハビリをしてきたのですから、喜びもひとしおだったのでしょう。
神様もとてもご親切で、旅はお天気に恵まれ、弘前も角館も桜満開!
弘前公園に溢れんばかりに咲く桜と雪を抱いた岩木山、角館の武家屋敷の美しいしだれ桜・・・満面の笑顔で楽しむ母を見て私もとても嬉しくなり、この旅をプレゼント出来たことを幸せに思いました。
スポンサーの主人にありがとう!  喜んでくれた母にもありがとう!

それにしても満開の桜には、人を幸せにする力があるのでしょうね。
ツァーでご一緒した方々は満開の桜を前に「こんな美しい桜を観られるなんて、本当に幸せだ!幸せだ!」と、みなさま晴れやかな笑顔。
きっと日本全国の桜の木の下で同じ光景が見られたのではないかしら。
桜を愛で、桜に思いを寄せる日本人の心って素敵だなぁ。

おかげさまで、今年もたくさんの桜を楽しむことができました。
主人と3回目のチャレンジの末、やっと満開の時に出逢えた松崎の桜。
大学時代の友人達と訪れた、懐かしい千鳥ヶ淵の桜
雄大な富士山を背景に美しく咲く富士宮浅間大社の桜や柚野興徳寺の桜。
そして、母娘で満喫した弘前、角館の桜。
どれもが美しく、幸せな時でした。

最後に、昨年、観音崎の満開の桜の下で、年上の素敵な友人に頂いた古今集の歌を記しておきたいと思います。 ともに過ごした大切な人たちとの時を思いつつ・・・
「春ごとに 花の盛りはありなめど あひ見むことは命なりけり (よみ人しらず)」




★2013年 4月30日★ “悪意を育てない決意”

今日で4月も終わり。
4月は誰もが希望を持って出発できる時であることを願いましたが、ボストンマラソンでの爆弾テロ事件や、ますます緊張高まる中国や韓国との関係、学校に暴力がはびこっているという文部科学省の実態調査など、ギスギスしたニュースがいっぱいです。

そんな中、朝日新聞で4月28日から「敵がいる」という連載が始まっています。
記事には、韓流の街として賑わっていた新大久保で2月以降繰り返される在日韓国人を非難するデモの様子や韓国人に向かって浴びせられる激しい攻撃の言葉、そのグループから決別した途端に標的になってしまった人の体験談。或いは沖縄のオスプレイ配備撤回を訴える人々を「売国奴!」「この国から出ていけ!」などと罵る人達の様子などが書かれていました。

誰かを「敵」にして徹底的に攻撃するという空気、そして周りもそれを容認するという空気が、この国にはそんなにも蔓延しているのでしょうか。
そうであるとしたら、悲しいし怖ろしい。

攻撃する人たちは、おそらく「満たされない心」を抱えているのでしょう。
それが「怒り」となり、他者への「悪意」へ発展し、「攻撃」という行動に到ってしまう・・・
子供たちのイジメ問題も根っこは同じと思います。

私たち人間は、残念ながら美しい心だけでできている訳ではないからこそ、「悪意」や「敵意」を育てないよう気をつけないといけないのです。
「攻撃」から「幸せ」は生まれないのですから。

なぜ心が満たされないのか。
「愛されている実感」や「ありのままの自分が受け入れられている実感」を持てないことも一因でしょう。
その意味で、私たち「親」の、「子」に対する役割はとても大きいと思います。
親の適切な接し方によって、子どもは愛されていることを実感したり、安心したり、自分を肯定的に受け入れ易くなります。
そこから、他者への信頼や協調性も育っていくのです。
大人同士であっても同じこと・・・日々の生活の中で、「自分も相手も大切にするコミュニケーション」をもっと心掛けていきたいと、自分を戒める私です。




★2013年 4月8日★ “庭仕事の喜び”

私は庭仕事が好き。
ターシャ・チューダーの野趣あふれる美しい庭が理想です。
私の庭は、まだまだ理想には程遠いですが、実はこのホームページを飾っている花は、私の庭の花です。
結構美しいでしょう?

庭仕事をしていると、しばしばバーネット作の「秘密の花園」を思い出します。
ストーリーをご存知ない方のために要約すると・・・
我儘で気難しい主人公メアリは両親をコレラで亡くし、イギリスに住む顔も知らない叔父の屋敷に引き取られます。
そのメアリが偶然みつけた、封印された秘密の花園。
その花園はメアリの叔父の深い悲しみによって長く閉ざされていたのです。
でも、荒れ果てた庭の中で、球根や薔薇の花たちは密やかに生きていました。
球根が芽を出しているのを見つけた時のメアリの驚きと喜び。
(私は毎年 我が家のスイセンやチューリップの芽が出てくるととても嬉しくて、メアリの気分になります。)
召使の弟ディコンに教わりながら花園の世話をすることで、メアリの心も体もどんどん元気になっていきました。
そして、屋敷の奥深く隠されていた病弱の従兄弟コリンまでもが、その花園で土や花に触れることで回復していったのです。
そして感動の結末が・・・!!
という物語ですが、花園を生き返らせようと世話をすることによって心も体も回復していく主人公達を見ていると、人間は自然と共にあってこそ幸せに健康になれるのだなぁと、つくづく思います。
私も庭仕事をすると元気になります。
自然からのパワーを頂いて。
感謝!
 花 花 花




★2013年 4月2日★ “出発の時”

4月がきました!
4月は希望の出発の時。
新しい学年、新しい出会いにドキドキ・ワクワクの子ども達。
厳しい試練を乗り越えて、爽やかな緊張とともに新しい世界に漕ぎ出す若者達。
彼らと同じように、人生後半戦の私も新しい出発・希望の予感に胸を躍らせます。

そんな訳で、ホームページを開設することに致しました。
携わっているゴードン博士のコミュニケーションプログラムを、多くの方に知って頂きたい故です。
と申しましてもアナログ世代の私・・・珍道中になりそうです。
ちなみにtrivial noteとは「ささいな(ありふれた)覚え書」とでも申しましょうか。
ホームページのタイトルPeaceful Relationsと共に、敬愛する、若くて美人の英語の先生が考えて下さいました。
花
温かな人間関係が広がっていきますように・・・
未だ癒えぬ悲しみの中にある方に希望の光が差しますように・・・
そんな祈りをこめて。

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